語学で活きる

日・英・中・印尼語を活用し、乱世を生き抜く凡人の備忘録

タイ深南部の歴史探訪|ある王国の光と影 -マレーシア クランタンで開いた扉-

スワンナプーム国際空港に到着 - 旧友に会いにバンコクへ

スワンナプーム国際空港

マレーシアからの帰国途中、タイのスワンナプーム国際空港でトランジットをすることとなった。次のフライトまでの時間に余裕があったので、久し振りにバンコク市内を訪れ、タイの旧友に会うことに決めた。

実に4年ぶりのバンコク。Grabを利用してタクシーを手配し、プロンポン駅近辺へと向かった。雨模様だったが、移動は順調だった。市内の変化を捉えようと窓から外を眺める。風景は4年前に見たものと何ら変わりはないように感じた。

旧友との待ち合わせ時間まで、プロンポンにある漫画喫茶「春らんまんカフェ」で漫画を楽しみながら時を過ごした。そして、近くのスターバックスで友人と再会。彼は華人系(潮州系)のタイ人で、我々のコミュニケーションは英語で行われる。

旧友との再会は心温まるものだったが、彼が最近「Deep South(タイの深南部)」を訪れ観光をした話を聞いて、驚きを隠せなかった。というのも、以前タイのビジネスパートナーたちとの会話で、深南部地域について話題になった際、「あんな危険な地域、利益が見込める案件があっても行く気にはなれない」「俺の知り合いの軍人は、あそこに配属されることは罰ゲームだと言っていた」との声を聞いていたため、その地を訪れるとは考えてもみなかった。

彼が観光したのはパッタニーという地域。この名を耳にしたのは実に久し振りだった。私が初めてこの地名に触れたのは、2017年のマレーシア滞在時のことであった。

クランタンで不思議な言語に出会う

赤枠部がクランタン州

私は、新規の顧客訪問のためマレーシアのクアラルンプール(KL)からクランタン州(Kelantan)に車で向かっていた。駐車場を探している最中、近くに立っていた地元民と思しき人に、同乗していたマレーシア人の同僚がマレー語で尋ねた。しかしその返答は、標準的なマレー語とは異なるもので、マレー語っぽく聞こえるのだが、私には理解できなかった。

「何を話してるか、さっぱり分からん」と同僚も困って、別の人に尋ねることにした。後で同僚に聞くと、「あの地元民が使っていたのはマレー語のクランタン方言、バハサ・クラッテ(Bahasa Kelate / Baso Kelate)って言うんだよ。あれを使われちゃうと私には理解不能だ。普通、他地域から来た者には標準マレー語で話そうとしてくれるんだけど、彼は違ったらしい」とのことだった。

その地元民は我々が話している内容を理解していたようだ。しかし、彼の強い方言のため、我々は彼の言っていることを理解できなかった。このような意思疎通の難しさを体験するのは新鮮で、私は驚かされた。

今思えばこれは、日本で標準語を話す私が、例えば東北弁しか話さない人と対話する感覚に似ていたのかもしれない。

何はともあれ、こんな経験、私にとって初めてだったから不思議でしかたなかった。

バハサ・クラッテ(Bahasa Kelate)について

クランタン訪問時の出来事は、私にとって強烈な体験となり、*バハサ・クラッテへの興味が湧いてきた。別のマレーシア人の友人に聞いても、彼らもこの言語を理解するのは難しいと一様に語った。

*バハサ(Bahasa)はマレー語で「言語」の意味。

「バハサ・クラッテは、標準マレー語とどれほど違うのだろう?」私は興味津々となり調べた。例えば、以下のような違いが見られる。

  • 日本語:~しても良い
    • 標準マレー語:Boleh(ボレッ)
    • バハサ・クラッテ:Buleh(ブレィ)
  • 日本語:なに?
    • 標準マレー語:apa(アパ)?
    • バハサ・クラッテ:gapo(ガパ)?
  • 日本語:伝える
    • 標準マレー語:beritahu(ブリタウ)
    • バハサ・クラッテ:ghoyak(ガヤ)
  • 日本語:問題ない
    • 標準マレー語:tak apa apa(タッ アパアパ)
    • バハサ・クラッテ:tak dok gapo(タッ ドッ ガパ)...etc...

以上が標準マレー語とバハサ・クラッテの違いだ。これらの例は、ほんの一部に過ぎない。

その友人からは、クランタンの地元民の中にはジャウィ文字を使う人もいると教えてもらった。ジャウィ文字とは、アラビア文字を改良して創られたマレー語の表記法で、クランタン州やクダ州などイスラムの伝統を大事にしている地域では今でも使われているとのことだ。

ジャウィ文字とローマ字でマレー語が記載された看板広告 
著作者:MNH48 CC BY 4.0

File:Billboard with both Rumi and Jawi script in Kedah.jpg - Wikimedia Commons

「バハサ・クラッテは、タイの南部でも話されているんだ」と友人は付け加えた。

「タイの南部ってどこ?」と私が尋ねると、「主にパタニ、ヤラー、ナラティワートだよ」との答えが返ってきた。

そこで話されている言語は、パタニ・マレー語やジャウィ語、ヤウィ語と呼ばれ、タイ語の単語やスラングが混ざっているものの、クランタンの人々と問題なく意思疎通ができるという。

私のクランタンでの体験は、ただの出張から、ある民族の歴史や文化探求の旅に変わっていった。

ここはかつて一つの王国だった

黒い太線がタイとマレーシアの国境
赤枠がマレーシア クランタン州
その北側にはタイのナラティワート県が位置する

クランタン州の北側には、タイのナラティワート県が隣接する。さらにその隣にはヤラー県、そしてパッタニー県が続く。この領域、特に*パッタニーを核とするヤラー、ナラティワート、ソンクラー県の一部は「タイの深南部」と呼ばれている。       

*タイでは「パタニ」を「パッタニー」と呼ぶとのこと

パッタニーを核とするヤラー、ナラティワート、ソンクラー県の一部は
「タイの深南部」と呼ばれている

このエリアの住民は、7割以上がマレー系ムスリムで占められている。タイの一部として、タイ語の影響はあるものの、その背後には上述したパタニ・マレー語(タイではジャウィ語や、ヤウィ語とも言われる)が主要な言葉として息づいている。文化的に見ても、彼らはタイの仏教圏よりもクランタン州との絆が深い。

そして驚くべき事実として、かつてこのパッタニー県、ヤラー県、ナラティワート県とクランタン州、さらにクランタン州の東に位置するトレンガヌ州は「パタニ王国」として一つの大きな勢力を築いていた。

青枠部の地域が、もともと「パタニ王国」という一つの王国だった

タイに住むマレー系ムスリム
著作者:Abhisit Vejjajiva CC BY 2.0

File:นายกรัฐมนตรี มอบบ้านตามโครงการแก้ไขปัญหาความเดือดร้อนท - Flickr - Abhisit Vejjajiva (10).jpg - Wikimedia Commons

王国の繫栄と没落、そして分断へ

パタニ王国はかつて、インド文明、ヒンドゥー教の影響を色濃く帯びていた。だが15世紀半ばを境に、イスラム教がしだいに影響力を増していった。

15世紀から17世紀後半にかけては、国際交易でその名は高く、ペルシャやインド、そして西欧のポルトガル、オランダ、イギリスの商人たちが商館を構え、胡椒や金などの商売で賑わった。

日本とも関わりがあった。日本の商売人もこの地で鹿革などの商売を行い、日本人街を築いていた。日本の海賊により途絶えていた国交を再開するにあたって、日本の武将がパタニ王国の国王に手紙を送っていた記録も残っている。

パタニ王国の女王が、防衛のために造らせた大砲 "Sri Patani"
現在はタイ国防省の前に展示されている
著作者: Paul_012 CC BY-SA 4.0

File:Phaya Tani cannon 2023.jpg - Wikimedia Commons

なお当時のタイは仏教を国教とするアユタヤという王朝だった。アユタヤ王朝も、パタニ王国を重要な交易拠点として位置づけ、特に中国との交易の玄関として非常に価値を見出していた。

このように交易で繁栄していたパタニ王国であるが、19世紀くらいからその勢いに陰りが見え始めた。その理由は諸説あるが、蒸気機関の発展と共に大型の汽船へと船が移行し始めたことが関係しているそうだ。浅瀬の港では大きな船は停泊できず、パタニ王国はその国際交易都市としての価値を徐々に失っていったのだ。

だが、この頃からパタニ王国の一般人に対するイスラム教の教育はさらに深く、広がりを見せていった。

汽船の誕生で長距離航海が定期的に可能となり、メッカやメディナへの旅も容易となったためだ。パタニ王国出身でメッカに留学していた者たちにより、パタニ・マレー語(ジャウィ文字を使用)で正しいイスラム教の礼拝方法や神学に関する書物が多く出版された。これらの書物は今もタイの深南部やマレーシア北部のイスラム教を教える学校の教科書として使われている。このイスラム教を教える学校や塾はポンドックや、ポノと呼ばれたりする。こういった学校や塾ではパタニ・マレー語、つまりバハサ・クラッテで教育が施されている。

パタニ・マレー語を使用したクルアーンの写本(19世紀後半)
著作者:不明 CC0

File:Double-page opening of a Malay Qur’an manuscript from Patani (BL Or 15227, ff. 13v-4r).jpg - Wikimedia Commons

なおパタニ王国は、かつてアユタヤ朝の朝貢国で半独立の存在だった。18世紀にアユタヤ王朝がビルマ(今のミャンマー)に滅ぼされた後、短期間独立を享受するも、後に現在のタイの王朝、チャクリー王朝(ラッタナーコーシン王朝ともいう)の侵攻を受け、あっさりとタイの属国になってしまった。

そして1909年、マレー半島に入植していたイギリスと、タイの間で国境が画定され、同じマレー系ムスリムの同胞がタイとマレーシアの間で分かれることとなったのだ。

独立を求め、闘争へ

この1909年の英泰条約がきっかけとなり、今日のタイ深南部地域の分離・独立運動に繋がっている。1940年代まで、度重なるタイの同化政策に苦しめられた。パタニ・マレー語の使用制限やマレーの民族服の着用禁止、クルアーンの学習禁止など、タイの同化政策による影響があった。パタニ・マレーとしてのアイデンティティが危機に直面したのである。

タイ政府による文化政策時代のポスター(1938年~1945年)
左側が禁じられた服装、右側が適切な服装
著作者:Government of Thailand. パブリックドメイン

File:Thai culture poster.PNG - Wikimedia Commons

そこで当時、深南部で影響力のあったイスラム指導者ハジ・スロンという人物が、公用語にマレー語とタイ語の併用、ムスリム公務員の増加などを求め、1947年にこれらの要望をタイの中央政府に伝えた。しかしその翌年には逮捕され、1954年に釈放されるも直後に失踪している。

ハジ・スロン(Haji Sulong)
著作者:不明 パブリックドメイン

File:Haji Sulong.png - Wikimedia Commons

1957年、英領マラヤがマレーシアとして独立した。これに影響され、60年代にはタイの深南部で独立を目指す組織が次々に立ち上がった。彼らの分離・独立運動は世界のイスラム地域から支持を受けた。特にマレーシア北部で力のあった、マレーシア・イスラーム党は公に彼らの闘争を支援していた。

1957年 マレーシアが独立
"Merdeka!(独立)"と7回唱えるマレーシア初代首相のトゥンク・アブドゥル・ラーマン
マレー・ナショナリズムが高揚する
著作者:Tunku Abdul Rahman, Malaysian and British government パブリックドメイン

File:Merdeka 1957 tunku abdul rahman.jpg - Wikimedia Commons

分離・独立運動によるテロ活動はエスカレートし、ドンムアン空港の爆発やヤラーでの国王への襲撃など、多くの事件が発生した。連続してテロ事件が多発する中、タイは1980年代に懐柔政策を導入し、今までの武力による鎮圧からマレー文化や宗教を尊重する政策に転換した。これにより一時、分離・独立運動は下火になった。

しかし、2001年にタクシンが政権の座につくと、同年に起きたアメリカ 9.11の同時多発テロ事件を受けて「テロ防止宣言」を採択。深南部はアルカイダのような過激派組織と連携する可能性があるとし、盗聴や令状なしの容疑者拘束など、一方的かつ強権的な手法による取り締まり強化を進めた。

これにより、タイ中央政府に対する深南部の不信感は再び増大し、治安を更に悪化させることとなる。

パッタニー県にあるクルセ・モスク(Masjid Kerisek)
2004年にテロ事件が発生し、クルセ・モスク事件として知られる
著作者:Amraam1 CC BY-SA 3.0

File:มัสยิดกรือเซะ.jpg - Wikimedia Commons

2023年現在も深南部各地でイスラム武装勢力による襲撃、放火、爆発などのテロ事件が発生している。2004年以来、この闘争の中で亡くなったのは延べ7,000人以上と言われている。日本国外務省も海外安全情報にて依然「レベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)(継続)」の状態となっている。

タイ深南部地域の安全情報
出展:外務省 海外安全ホームページ  海外安全ホームページ: 危険情報詳細

タイ深南部の現状とこれから

タイ中央政府は現在、タイ深南部地域の最大の武装勢力、BRN(パタニ・マレー民族革命戦線)と、マレーシアの仲介のもと和平交渉を進行中だ。マレーシアが仲介役を果たしている理由は、BRNの主要メンバーがマレーシアへ亡命していること、また、多くのメンバーが両国間を頻繁に移動しているからだ。

BRNはタイ中央政府に対して「独立国家の樹立」を明確に主張してはいないが、タイ領土内での高度な自治を求めている。2020年に本格的に始まったBRNとの和平交渉は現在も続いており、具体的な進展は確認されていない。深南部では、BRN関連の爆弾や襲撃事件が継続的に発生しているとの報告もある。

しかし、深南部地域にはBRN以外にもパタニ統一解放機構(PULO)、パタニ・イスラム・ムジャヒディン運動(GMIP)、パタニ解放戦線(BNPP)など、他の武装組織も存在している。またBRN内では、派閥間の意見対立も存在し、一筋縄ではいかない情勢となっている。

なお、これらの組織について調べているうちに気になったのは、資金源はどこにあるのか?ということである。諸説はあるが、麻薬取引、人身売買、マレーシアからの石油密輸や、インドネシアなど他地域への武器転売など、多岐にわたる地下経済からの可能性を指摘されている。

また、武器の調達ルートとしては、タイ国内、あるいは冷戦や民族紛争の歴史を持つ近隣諸国からの密輸が挙げられている。

かつては胡椒や金の交易で繁栄したこの地域が、今日では非合法取引の舞台と化してしまったのは、何とも悲しい現実である。

タイ中央政府は、地域情勢の安定化に向けて引き続き努めている。深南部地域に面するタイ湾では天然ガスがとれ、タイの電力供給を支える。また深南部は漁業が盛んであり、パーム油やゴムの採取といった農業も重要な経済基盤となっている。そして何より、豊富な自然を活かした観光資源がある。このように国家のエネルギー、並びに食料の安全保障を支えるのみならず、経済的な側面をみても非常にポテンシャルのある地域なのである。

ナラティワート県の漁村。深南部地域は漁業が盛ん
著作者:by preetamrai CC BY 2.0

File:Fishing Village in Narathiwat.jpg - Wikimedia Commons

和平交渉は困難を極め、まだまだ遠く長い道のりとなることは予想される。しかし、双方がコミュニケーションを続け、一歩ずつでも進展を遂げられることを切に願う。この地域の状況や関係者の動向を、引き続き注視していきたい。

*なお、念のため補足しておきたい点として、タイでは仏教徒が人口の90%以上を占めるものの、仏教は国教として定められていない。信仰の自由が認められており、バンコクの街中ではイスラム教徒やモスクも一般的に見受けられ、共存の姿が目立つ。

タイの深南部は歴史と現代を繋ぐ、複雑な地域

パッタニー中央モスク(Pattani Central Mosque)
著作者:Ukwaenterprise CC BY 2.0

File:Pattani mosque.jpg - Wikimedia Commons

今回、タイの友人が深南部を訪れた話を伺い、久しぶりにその土地について考えてみたくなった。当初は観光の魅力に焦点を当てた記事をも考えていたが、日本をはじめとする多数の国がこの地域の安全性に懸念を示しており、観光を勧めるのは難しい状況だと判断した。

そこで、なぜこのような状況になってしまったのか、まずその背後にある歴史を掘り下げ理解することが重要だと感じ、今回の記事を綴った。パタニの歴史を追ううち、他民族による国境画定がもたらした同胞の分断、そこにもがき苦しむ民族の姿に、深いやるせなさを覚えた。

仕事でマレーシアのクランタン州を訪れるまで、正直、タイ深南部に対する興味や知識はなかった。標準マレー語を勉強していたにもかかわらず、クランタンの方言が全然理解できなくて驚いた。そんな経験から調査を始め、バハサ・クラッテ、そしてパタニ・マレー語の存在を知った。それがきっかけでパタニという地域に出会い、その独特な文化と歴史に触れることができた。この新しい発見に感謝し、得た知見を共有することで、皆さんがこの地域の特異性に注目し、興味を持って頂ければ、これ以上の喜びはない。

 

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-参考文献-

・久志本裕子 / 野中葉, 明石書店(2023年), 東南アジアのイスラームを知るための64章

・堀場明子/ 青木伸行, 笹川平和財団,【Faces of SPF】躍動する女性たち 紛争続くタイ深南部に和平を, 

【Faces of SPF】躍動する女性たち(1) 紛争続くタイ深南部に和平を | ニュース-お知らせ | 笹川平和財団 - THE SASAKAWA PEACE FOUNDATION

・堀場明子, ボランティア学研究, タイ深南部紛争と平和構築イニシアティブ, 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/isvsjapan/16/0/16_59/_pdf/-char/ja

・黒田影子, 宗教研究, シェイク・ダウドとポンドック(ポノ)の役割 ーマレー半島中部におけるイスラームの「越境する」学術ネットワーク―, https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/94/2/94_109/_pdf

・黒田影子, 東洋学報, ナコーンシータマラートの拡大政策ー1811-1839年ー, 

https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/record/5910/files/gakuho01_80-4-08.pdf

・鳥取県立公文館, 亀井茲矩の朱印船貿易① ーパタニ国王に送った手紙ー, 

https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/1251968/ki741_1.pdf

・外務省 安全情報ホームページ, https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo_2023T009.html#ad-image-0

・Benar News, Thai chief peace negotiator wants more Deep South groups involved in talks, 

https://www.benarnews.org/english/news/thai/talks-update-01252023145340.html

Benar News, Ex-Headmaster Becomes Top BRN Rebel Leader in Deep South: Thai Officials, 

https://www.benarnews.org/english/news/thai/brn-leader-03202017163737.html

・梶田武彦, 日本国際問題研究所, タイ南部で起きていること, https://www.jiia.or.jp/column/column-71.html

・The Diplomat, Thailand’s Deep South Insurgencies: Exploiting the Maritime Domain, 

https://thediplomat.com/2020/08/thailands-deep-south-insurgencies-exploiting-the-maritime-domain/

・The Diplomat, What’s Behind the Growing Number of Attacks in Southern Thailand?, 

https://thediplomat.com/2023/05/whats-behind-the-growing-number-of-attacks-in-southern-thailand/

・The Diplomat, The Apparent Stalemate in Thailand’s Deep South, 

https://thediplomat.com/2021/12/the-apparent-stalemate-in-thailands-deep-south/

・INTERNATIONAL CRISIS GROUP, Southern Thailand’s Stop-start Peace Dialogue, 

https://www.crisisgroup.org/asia/south-east-asia/thailand/b176-southern-thailands-stop-start-peace-dialogue

・INTERNATIONAL CRISIS GROUP, Sustaining the Momentum in Southern Thailand’s Peace Dialogue, 

https://www.crisisgroup.org/asia/south-east-asia/thailand/sustaining-momentum-southern-thailands-peace-dialogue

・ The Jamestown Foundation, Brief: Drug-Trafficking and Jihadist Nexus Possibly Behind Terror Attack in Southern Thailand, 

https://jamestown.org/program/brief-drug-trafficking-and-jihadist-nexus-possibly-behind-terror-attack-in-southern-thailand/

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https://www.refworld.org/docid/58f9cad711.html

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https://www.bbc.com/news/world-asia-40081330?SThisFB%23

・BBC NEWS INDONESIA, Thailand selatan: Siapa Haji Sulong, pemimpin Muslim Thailand selatan yang dihilangkan paksa 66 tahun lalu?, https://www.bbc.com/indonesia/dunia-53831094

・国際協力事業団, タイ王国 ナコンシタマラット漁港建設計画 基本設計調査報告書,

https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/10388536_01.pdf

・OFFSHORE ENGINEER, KrisEnergy Begins Latest Thai Drilling Program, 

https://www.oedigital.com/news/443846-krisenergy-begins-latest-thai-drilling-program

・櫻井利江, 富山大学経済学部, アジアにおける分離権(三)ーICJコソボ独立宣言勧告的意見を踏まえてー, https://toyama.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2038&item_no=1&page_id=32&block_id=36

・公安調査庁, 地域別テロ情勢等 タイ, https://www.moj.go.jp/psia/ITH/situation/ES-asia_oce/Thailand.html

・Rafidah Dahari / Nor Azizan Idris / Zarina Othman, Asian Social Science, Influencing External Factors for Small Arms Light Weapon Smuggling at Malaysia-Thailand Border, 

https://pdfs.semanticscholar.org/f769/1e9547b4273b327c53b6ba8550e7412c1899.pdf