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マダガスカルとインドネシアのつながりについて

先月配信したブログ記事、インドネシア語を学ぶメリットの中で、インドネシア語とマダガスカルの国語であるマダガスカル語(以下、マラガシ)が同じオーストロネシア語族に属するため、似た特徴をもつと記載しました。

読者の中には、「インドネシアの言語とアフリカのマダガスカルの言語が似ているってどういうこと?」と疑問を持たれた方がいらっしゃるかもしれませんね。

青色がカリマンタン島(ボルネオ島)、赤色がマダガスカル島

この点に関して実は2005年に、イギリスの研究チームがマダガスカル人のミトコンドリアDNAを分析したところ、彼らの先祖が現在のカリマンタン島(ボルネオ島)から来たことが判明しています。

カリマンタン島からマダガスカル島への移住時期には諸説ありますが、およそ1000年から2000年前とされています。

マダガスカル島はアフリカ大陸の東側に位置していますが、アフリカ大陸の東部に住んでいた民族よりも、早くに東南アジアからの人々がマダガスカルに到着したのではと考えられています。

尚、マダガスカルの歴史を振り返りますと、多くの民族が移住してきたため、マダガスカル人は多様な遺伝的系統を持っています。

にも関わらず、研究者たちは、マダガスカル人の先祖が東南アジアから来たという仮説をどのように立てたのでしょうか。

この推測の根拠の一つが、マダガスカル人が話すマラガシという国語にありました。

この言語の分析から、彼らの祖先がオーストロネシア語族に属する地域から来たことが示唆されていたのです。

マラガシとマアニャン語

インドネシア カリマンタン島に住むマアニャン族の女性
著作者:Ezagren, CC BY-SA 4.0

File:Maanyan Women at Keang Ethnic Festival 151030003.JPG - Wikimedia Commons

マダガスカルの国語であるマラガシは、現在インドネシアのカリマンタン島中央部から南部に居住するマアニャン族(Ma'anyan people)が話すマアニャン語(Ma'anyan language)が最も近い親戚と言われています(マアニャン語はマーニャン語、マニャン語と呼ばれたりもします)。

マアニャン語は現在も使用されている言語です。

ではそのマラガシとマアニャン語がどれほど近い言語なのか、数字の数え方を以下のように纏めてみました。

マラガシとマアニャン語の数の数え方

驚きました。だいぶ似ていますね。

最後の10のfoloですが、これは私の推測ですが、sapuluのsaが取れてpuluが最終的にfoloに訛っていったのではないかと思います。

これは数字の7も一緒で、pituのpがfに訛って、fitoになったのではないかと考えます。

ちなみに数字のみならず、以下の単語にも類似性が見られます。

マラガシとマアニャン語の単語の類似性

ほとんど同じですね。マアニャン語をそのまま発音しても、通じそうな気がしてきます。

マラガシの音というか、イントネーションを確認したく、以下のマラガシの動画を見てみましたがインドネシア語などのオーストロネシア語族の抑揚に似ていると感じました。

興味がありましたら以下の動画をご覧ください(英語の字幕が出ます)。

www.youtube.com

このように、マダガスカルの国語であるマラガシとインドネシアのマアニャン語に、類似性が見られることが分かりました。

しかしながら先にも述べましたように、マダガスカルは歴史上、様々な民族が移住してきております。

もちろん、これら移住してきた人々の言語も今日のマラガシに影響を与えている事実はあるものの、アジアやオセアニア地域で広く話されているオーストロネシア語族の特徴が、より色濃く残っています。

アフリカ大陸に近いこの地域で、なぜオーストロネシア語族の言語的特徴が今日まで色濃く残るようになったのかは、実はまだ解明されていないそうです。

さて、マダガスカルの先住民であるマダガスカル人が現在のインドネシアのカリマンタン島から移住してきたことは分かりましたが、彼らはどのようにして辿り着いたのでしょうか?

カリマンタンの民はどうやってマダガスカルへ渡ったのか?

1. アウトリガーカヌーに乗って渡った

Wikipediaによると、アウトリガーカヌーを用いて現在のインドネシアの地域からマダガスカルまで移動してきたと記述があるのですが、この情報の原典を確認することはできませんでした。

アウトリガーカヌーとは、南太平洋で主に使用されているカヌーの一種で、通常のカヌーとの違いは、本体の片脇か両脇に浮き(アウトリガー)が付いている点です。

この浮きによってカヌーのバランスを保ち、海洋での長距離航海が可能になると言われています。

マダガスカルのアウトリガー付きのカヌー
著作者:WRI Staff, CC BY 2.0

File:Madagascar - Traditional fishing pirogue.jpg - Wikimedia Commons

アウトリガーカヌーの起源については明確には分かっていませんが、東南アジア島嶼部でその構造が発展し、東はイースター島、西はマダガスカルまで拡散したとされています。

実際、マダガスカルでも東南アジアやオセアニア地域で使用されるのと同様のアウトリガーカヌーが存在します。

このような背景から、マダガスカルの先住民はアウトリガーカヌーで移動してきたという説が提唱されています。

しかし、カリマンタン島とマダガスカル島の距離は約7,000~8,000kmあり、アウトリガーカヌーでの航海が実際に可能だったかどうかは不明です。

南赤道海流(南東貿易風)を利用すれば容易に航行できる距離とも言われていますが、当時のアウトリガーカヌーの技術でその航行が本当に可能だったのか、その裏付けは見つかっていません。

また、カヌーでの移動には多くの人が乗船できないこと、食糧の備蓄などはどうしていたのか、多くの疑問が残ります。

2. アウトリガー付きの帆船に乗って渡った

また、カリマンタン島に住むマアニャン族の主な居住地は内陸部で、海に面していないため、彼らが遠洋航海の技術を持っていたとは考えにくいです。

そのため、マレー人やジャワ人がマアニャン族を奴隷として貿易船に乗せ、共に航海していたという説があります。

この説に関連して、7世紀に栄えたスリウィジャヤ王国と8世紀のシェイレンドラ王朝が挙げられます。

スリウィジャヤ王国はマレー系の海上交易国家で、首都は現在のインドネシア・スマトラ島のパレンバンにありました。

スマトラ島パレンバンの位置

シェイレンドラ王朝はジャワ島中部で栄え、現在世界遺産となったボロブドゥール寺院を建造しました。

インドネシアジャワ島中部に位置する、ボロブドゥール寺院の位置

ボロブドゥール寺院
著作者:22Kartika, CC BY-SA 3.0 DEED

File:Borobudur Temple.jpg - Wikimedia Commons

パレンバンのスリウィジャヤ時代の遺跡からは船の舵が発見されているそうで、またボロブドゥール寺院には*アウトリガー付きの帆船が彫られており、これらの王朝の時代に遠洋航行できそうな船が存在していたことは判っています。

*この帆船をシェイレンドラ王朝が建造していたのか、はたまたペルシャ船なのか、中国の船なのかは不明

ボロブドゥール寺院の壁画に彫られたアウトリガー付きの帆船
著作者:Anandajoti, CC BY-SA 3.0 DEED

File:032 Avadana Level 1, Ship and Crew.jpg - Wikimedia Commons

2003年には、ボロブドゥール寺院に描かれた帆船を忠実に再現した木造船サムドラ・ラクサ号が建造されました。

この船は、エンジンなどの動力を使用せず、インドネシアのジャカルタからアフリカ・ガーナの首都アクラへの航海プロジェクトに使用されました。

このプロジェクトでは、インドネシア人と欧米人の計15名が航海に参加し、途中マダガスカルにも立ち寄ったそうです。

ジャカルタを出港してから約2ヶ月でマダガスカルに到着したそうで、竹製のマストが一本壊れるトラブルはあったものの、乗組員の健康面などでは特に問題はなかったとのことです。

サムドラ・ラクサ号
著作者:Phillip Beale (photograph), パブリックドメイン

File:Samudra Raksa dari depan, dengan layar terkembang seperti sayap angsa.jpg - Wikimedia Commons

これらの事実から、スリウィジャヤ王国やシェイレンドラ王朝時代にアウトリガー付きの船でマアニャン族を乗せ、マダガスカルまで航海したという説が提唱されています。

しかし、これが意図的な航海であったのか、あるいは難破(漂流)によるものであったのかは不明です。

また、この説を裏付ける歴史的物証はマダガスカルで発見はされていません。

マダガスカルとインドネシアの文化における類似点

1. 楽器 - 筒型ツィター

マダガスカルには、伝統的な民族楽器としてヴァリと呼ばれる楽器があります。

アルファベットではValihaと表記されますが、最後の「ha」は発音されないそうです。この楽器は筒状で縦長の弦楽器でして、本体は竹で作られています。

元々は竹の皮を弦として使用していたそうですが、現在では金属製の弦が一般的に使用されています。

ヴァリという筒型ツィターを演奏するマダガスカルの男性
著作者:Rob Hooft, CC BY-SA 3.0 DEED

File:Valiha player in Ambohimahasoa.jpg - Wikimedia Commons

実は興味深いことに、このヴァリに類似した楽器は、インドネシアをはじめとする東南アジアの各国にも存在します。

これらの楽器の名称は国によって異なりますが、本体は筒状の竹で作られており、金属弦や竹の皮の弦が使用されるなど、ヴァリと同様の構造を有しています。

Kong Ring - Gung Trengと呼ばれるカンボジアの筒型ツィター
奏者はカンボジア モンドルキリ州の男性
著作者:Veang Bunlin, CC BY 3.0 DEED

File:Kong ring (គង់រេង).jpg - Wikimedia Commons

Sasandoと呼ばれるインドネシアの筒型ツィター
奏者はインドネシア 東ヌサ・トゥンガラ州 ロテ島の男性
著作者:Fakhri Anindita, CC BY-SA 4.0

File:Alat Musik Sasando.jpg - Wikimedia Commons

諸説ありますが、ヴァリはインドネシアやマレーシアの商人によってマダガスカルにもたらされたとされています。

以下にササンド(Sasando)と呼ばれるインドネシアの楽器とマダガスカルのヴァリ(Valiha)の演奏動画を掲載します。どちらも美しい旋律を奏でる楽器ですね。

★Indonesia - Bolelebo (Versi Harbabiruk) - Sasando Vocal Instrumental

www.youtube.com

★Madagascar - Linda Volahasiniaina joue la Valiha

www.youtube.com

2. 家屋建築

マダガスカルの伝統的な家屋は、東南アジアでよく見られる、高床式住居に類似していると指摘されています。

これらの家は杭の上に建てられ、形状は長方形です。屋根は切妻造で、中央の柱によって支えられています。このような建築スタイルはアフリカの他の地域では珍しく、特有のものとされています。

さらに、ウィキペディアに記載されている情報によると、マダガスカルとインドネシアの両地域では、屋根を支える中央の柱が神聖視されているそう。

新しい家を建てる際には、伝統的にこの柱に血を塗る習慣があり、この点でインドネシアとの類似性が見られるとされています。

なお、以下の方の記事にマダガスカルの家屋建築に関し写真付きで詳細が掲載されているので、リンクを添付いたします。

マダガスカル研究懇談会│Conference/懇談会

3. 食文化

マダガスカルの主食は、東南アジア諸国と同様にです。

この米は、マダガスカルに最初に入植したとされる現在のインドネシア・カリマンタン島南部の人々によってもたらされたと言われています。

インドネシアの主食も米であり、マダガスカルでは一日に3回米を食べることが一般的で、世界でも最も米を消費する国の一つだそうです。

マダガスカルの水田稲作
著作者:Bernard Gagnon, CC BY-SA 3.0 DEED

File:Ambositra 04.jpg - Wikimedia Commons

Varangaという牛肉の細切り、レンズ豆などのマダガスカル料理
著作者:Z thomas, CC BY-SA 4.0 DEED

File:Varanga Antananarivo 2019-10-21.jpg - Wikimedia Commons

マダガスカルで食べられる米の種類は長粒米(インディカ米)です。

また、入植者は米以外にもプランテン(バナナの一種)、タロイモ、ヤムイモなども持ち込んだとされ、現在のマダガスカルの食文化に大きな影響を与えたとされます。

あとがき

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました!

今回は東南アジア・インドネシアとアフリカ・マダガスカルのつながりについて取り上げてみました。

7,000~8,000kmも離れた別の大陸に暮らす人々が、似た言語を話し、DNA分析で同じ出自を持つことが明らかになるとは、本当に驚きですし、ロマンを感じますよね。

生物地理学者のジャレッド・ダイアモンド氏が「人文地理学における最も驚異的な事実(the single most astonishing fact of human geography)」と言ったのも頷けます。

しかし言語だけでなく、多様な民族がマダガスカルに移住したにもかかわらず、東南アジアと共通の文化が色濃く残っているのは不思議ですね。

ちなみに調べてみると、マダガスカルだけでなくコモロにもカリマンタンから来た人々がいるとのこと。

しかし、どのようにして辿り着いたのかはまだ明らかになっていません。早く解明されると良いですね。

さて今後もアジアを中心に驚きの話があれば、積極的に紹介していきたいと思います。

何かご意見やコメントがありましたら、ぜひお寄せください!

 

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della-asia.hatenablog.com

 

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*参考文献

Studies prove people of Madagascar came from Borneo and Africa

Madagascar originally colonized by small group of Indonesians

Madagascar populated from Africa, Borneo

New Evidence on the Settlement of Madagascar - GeoCurrents

http://qboatkanto.web.fc2.com/itopalembang/21.pdf

じゃかるた新聞 ボロブドゥール壁画の帆船

Madagascar and Japan--The Resonance of Traditional Musical Instruments | The Japan Foundation Web Magazine Wochi Kochi

VALIHA | African String Instrument | Kaypacha

インドネシア木造建築研究序説: Introduction to the manifestation of Indonesian wooden Architecture

https://jsis.washington.edu/csead/resources/educators/where-in-southeast-asia/madagascar/

Rice in Madagascar. More than a food. | SATAKE Group

Indonesia and Madagascar's Connection

マダガスカル研究懇談会│Conference/懇談会

マダガスカルの歴史 - Wikipedia

Ma'anyan people - Wikipedia

Malagasy language - Wikipedia

アウトリガーカヌー - Wikipedia

Architecture of Madagascar - Wikipedia

Culture of Madagascar - Wikipedia