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インドネシアにルーツをもつ有名人たち

インドネシアの独立宣言は1945年8月17日、日本の降伏後に行われました。

その後、オランダとの間で1949年まで正式な独立を勝ち取るための戦いが続きました。

1940年代から50年代にかけての武力闘争から逃れるため、多くのインドネシア人が故郷を離れました。

その多くは宗主国オランダへ向かいました。

オランダ領東インドでオランダのために働いていた軍人、公務員、使用人、オランダ入植者との混血家族(Indo Eurasian)が新しい生活を求めてオランダに移住しました。

一部はその後、オランダを離れ、アメリカやオーストラリアへ移住していきました。

客船でオランダ ロッテルダムに到着した「Indo Eurasian」の人々
著作者:Nationaal Archief, No restrictions

File:Arrivalrotterdam.jpg - Wikimedia Commons

現在オランダには約170万人のインドネシア系オランダ人がおり、これはオランダ国内で最大の少数民族グループと言われております。

私はインドネシアに駐在していた時、Italkiという語学学習プラットフォームでインドネシア系オランダ人の先生からインドネシア語を学んでいました。

先生は英語が話せたので、英語の勉強にもなり、一石二鳥でした。

先生との会話で、インドネシアにルーツを持ち、世界で活躍する人々について知ることができ、非常に興味深かった思い出があります。

このブログでは、インドネシアにルーツを持つ有名人について共有したいと思います。

個人的にサッカーと音楽が好きなため、内容がその方面に偏ることをご容赦ください。

インドネシアにルーツをもつ有名人 

1. ヴァン・ヘイレン兄弟(Van Halen)

写真の一番左が兄のアレックス・ヴァン・ヘイレン、
一番右が弟の故 エディー・ヴァン・ヘイレン
著作者:Unknown, パブリックドメイン

File:Vanhalen 1981.jpg - Wikimedia Commons

ヴァン・ヘイレンは1972年にアメリカで結成されたハードロックバンドで、1970年代から1990年代にかけて大きな成功を収めました。

Wikipediaによれば、1992年にグラミー賞を受賞し、2007年にはロックの殿堂入りを果たしました。

また、ウォール・ストリート・ジャーナルが選ぶ「史上最も人気のある100のロックバンド」で17位にランクインしています。

彼らの代表曲はアルバム「1984」に収録されている「Jump」で、耳にされた方も多いのではないでしょうか。

特にギタリストのエディー・ヴァン・ヘイレンのギターテクニックが革新的で、厚かましくも私もギターの練習中によくタッピングの真似をしていました・・・。

ヴァン・ヘイレン兄弟ですが、母親がインドネシアのジャワ島ランカスビトゥン(Rangkasbitung)出身でした。

ランカスビトゥンの位置
首都ジャカルタから西側にある

またこのランカスビトゥンという地域が興味深い地域なのですが、それはまた別の機会に記事にします。

彼らの父親でミュージシャンのヤン・ヴァン・ヘイレンは、インドネシアに訪問した時に彼女と出会い、1950年初頭に共にオランダへ移住しました。

アムステルダムでヴァン・ヘイレン兄弟は生まれましたが、母親を含め、「混血」であることへの社会的偏見と排他的な対応に苦しんだため、家族は1962年にアメリカへ移住しました。

アメリカで、彼らはその後伝説を築くことになります。

兄のアレックス・ヴァン・ヘイレン
著作者:Craig ONeal, CC BY 2.0

File:Alex Van Halen - Van Halen Live.jpg - Wikimedia Commons

弟のエディー・ヴァン・ヘイレン
残念ながら2020年に他界してしまった
著作者:Carl Lender, CC BY 2.0

File:Eddie Van Halen at the New Haven Coliseum.jpg - Wikimedia Commons

なお、Google検索で「van Halen mother」と検索すると、ヴァン・ヘイレン兄弟のご両親の写真を見ることができます。

2. ミシェル・ブランチ(Michelle Branch)

ミシェル・ブランチ
著作者:Alaina Buzas, CC BY 2.0

File:Michelle Branch Centennial Concert.jpg - Wikimedia Commons

ミシェル・ブランチはアメリカのアリゾナ州出身のシンガーソングライターです。

サンタナとのコラボレーション曲「The Game of Love」でグラミー賞を受賞し、世界的に有名なミュージシャンとして知られています。

彼女の母方の祖母はインドネシアの東ジャワ出身で、第二次世界大戦中に日本軍の強制収容所にいた経験があります。

戦後、祖母はオランダへ移住し、その後新しい生活を求めてアメリカに移住しました。

3. ロビン・ファン・ペルシ(Robin van Persie)

ロビン・ファン・ペルシ
著作者:Елена Рыбакова, CC BY-SA 3.0 DEED

File:Loco-Fener (10).jpg - Wikimedia Commons

ファン・ペルシは、オランダを代表する元サッカー選手です。

彼のポジションはフォワードでした。

オランダの名門クラブ、フェイエノールトでプロデビューし、その後、アーセナルやマンチェスター・ユナイテッドでの活躍で知られています。

プレミアリーグでは複数回得点王に輝き、オランダ代表としてもスタメン選出され、3度のワールドカップに出場しました。

また、オランダ代表の通算得点記録の保持者でもあります。

ファン・ペルシの祖母は、インドネシアのスラバヤ出身です。

スラバヤの位置
ジャワ島の東部に位置する

4. ヨン・ハイティンハ(John Heitinga)

ヨン・ハイティンハ
著作者:Carlo Bruil Fotografie, CC BY 2.0 DEED

File:GAE - Ajax - 52788475730 (John Heitinga).jpg - Wikimedia Commons

ヨン・ハイティンハはオランダを代表する元サッカー選手です。

彼はオランダの名門アヤックスでプロデビューし、その後スペインのアトレティコ・マドリード、イングランドのエヴァートンやフラムで活躍しました。

センターバック、サイドバック、ボランチ、センターハーフと、多岐にわたるポジションでプレーするユーティリティプレーヤーとして知られています。

オランダ代表としても活躍し、EURO 2004ではベスト4、2008ではベスト8に進出し、ワールドカップでは2006年にベスト16、2010年には準優勝を経験しました。

指導者としても活動しており2022-2023シーズンにはアヤックスの監督を務めました。

ハイティンハの祖父および父親はインドネシア生まれです。

祖父は第二次大戦中、日本軍の強制収容所にいましたが、ドイツ系の血筋のため比較的安全に生活を送ることができたとされています。

一家は1950年代後半にオランダに移住しました。

*サッカーメディアによって名前を「ジョン・ハイティンガ」と記載するメディアもあります。

5. ジョヴァンニ・ファン・ブロンクホルスト(Giovanni van Bronckhorst)

ファン・ブロンクホルスト
著作者:Wouter Engler, CC BY-SA 4.0 DEED

File:Feyenoord-coach Giovanni van Bronckhorst-close-up.jpg - Wikimedia Common

ファン・ブロンクホルストはオランダを代表する元サッカー選手で、世界的に著名なサイドバックプレイヤーでした。

2023年11月現在、彼はスコットランドのレンジャーズで監督を務めています。

選手時代、彼はFCバルセロナで主に左サイドバックとしてプレーし、チャンピオンズリーグやリーガ、スーペルコパなどで数多くのタイトルを獲得しました。

オランダ代表としても活躍し、2000、2004、2008年の欧州選手権と1998、2006、2010年のワールドカップに出場しました。

2010年の南アフリカ大会では、準優勝したオランダ代表のキャプテンを務めました。

ファン・ブロンクホルストはオランダとインドネシアの二重国籍を持ちます。

彼の父親はインドネシア系オランダ人で、母親はインドネシアのマルク諸島出身です。

マルク諸島の地図

6. ロイ・マカーイ(Roy Makaay)

ロイ・マカーイ
著作者:Knurftendans, パブリックドメイン

File:Roy Makaay 001.jpg - Wikimedia Commons

ロイ・マカーイは、スペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャやドイツのバイエルン・ミュンヘンで活躍したオランダの代表的なフォワードです。

デポルティーボでの活躍は特に目立ち、チームの優勝に大きく貢献しました。

2002~2003年シーズンにはリーガで29得点を挙げ、得点王に輝いています。

オランダ代表には選ばれましたが、同時期に活躍したルート・ファンニステルローイの存在や、代表チームのフォーメーションとの相性の問題から、ワールドカップへの出場は叶いませんでした。

現在はフェイエノールトのU-15チームの監督と、トップチームのFWコーチを務めています。

マカーイの母親はインドネシアのマルク諸島出身で、ファン・ブロンクホルストと同様、彼はその血を引いています。

7. ナイジェル・デ・ヨング(Nigel de Jong)

ナイジェル・デ・ヨング
著作者:ING Nederland, CC BY-SA 2.0 DEED

File:Nigel de Jong 2011 (2).jpg - Wikimedia Commons

オランダを代表するミッドフィルダー、デ・ヨングはアヤックス、マンチェスター・シティ、ACミランで活躍しました。

2010年の南アフリカFIFAワールドカップではスタメンとしてチームの準優勝に貢献しました。

決勝戦でのスペイン代表のシャビ・アロンソへのハイキックは大きな話題を集めましたが、デ・ヨング本人は「悪意はなかった」と述べています。

デ・ヨングの父親はスリナム出身で、インドネシア ジャワ人の血を引く先祖がいます。

母親はインドネシアのマルク諸島出身です。

*スリナムにもインドネシア系住民が多く居住しています。

マルク諸島にルーツをもつ人たちが多いのはなぜ?

さて、インドネシアにルーツをもつ有名人ということで、ミュージシャン2名とサッカー選手5名の計7名を紹介しました。

読者の皆さんもお気付きかと思いますが、紹介したオランダ人サッカー選手5名のうち3名がインドネシアのマルク諸島にルーツを持っています。

実は、オランダにはマルク諸島をルーツとするインドネシア系の人々が多く住んでいます。

マルク諸島に住んでいた人々の多くは、もともとオランダ東インド会社に雇われた軍人やその家族で、約4万人がオランダに移住したとされています。

インドネシアが1949年にオランダから正式に独立した後、オランダは現地で組織したマルク諸島の人々が多く占める軍隊(オランダ領東インド陸軍=KNIL)を解散する必要がありましたが、これに時間がかかりました。

KNILの現地人部隊
著作者:Unknown, CC BY-SA 3.0

File:COLLECTIE TROPENMUSEUM Een groep Indische militairen rust uit bij het oversteken van een rivier TMnr 10001951.jpg - Wikimedia Commons

オランダはこのKNILと共に、インドネシアの独立・主権を阻止すべく戦っていました。

そのため、解散を迫られたマルク諸島の軍人からすると、新しく独立したインドネシア共和国はもともと敵だったわけですし信用しておらず、「なんか、納得いかんな~」となりました。

また民族や宗教もインドネシア中央政府とは異なります。

例えば、インドネシア中央政府はイスラム教であるのに対し、マルク諸島の軍人の多くはプロテスタントでした。

この背景からマルク諸島の民族主義、分離主義が高まり、1950年には「インドネシアから独立する!」とのことで「南マルク共和国」の独立を宣言する事態が発生します。

オランダ政府は成す術がなく、「将来的には南マルク共和国の独立を約束するから、まずはオランダへ来て!」と軍人たちをオランダに移送し、武装解除させる強硬手段を採りました。

移住したマルクの人々は時が来るのを待ち、オランダの収容キャンプで生活を送りました。

しかし1959年、悲運にもオランダから「ごめん、やっぱ独立無理です。代わりにオランダでの定住権あげる」となりました。

マルクの人々は異国の地での自活を余儀なくされ、オランダ社会に溶け込むこととなりました。

しかしオランダ社会への同化は容易ではなく、1960年代、70年代にはオランダで不満をもった人たちによるテロ事件などが発生し深刻な社会問題となりました。

こうした背景があり、オランダにはインドネシア マルク諸島にルーツを持つ人々が一定数居住しております。

ちなみに、現在もマルク諸島には独立に向けて地下活動を続ける人々がいるとされています。

*マルク諸島は植民地時代「モルッカ諸島」と呼ばれていました。

*またクローブやナツメグの生産地ということで「スパイス諸島」とも呼ばれていました。

あとがき

インドネシア系オランダ人のインドネシア語教師から、ヴァン・ヘイレン、ミシェル・ブランチ、そしてファン・ペルシがインドネシアにルーツを持つと聞き、正直驚きました。

みなさんもはご存知でしたか?

ファン・ブロンクホルストについては、何となくインドネシアのルーツがあると思っていました。

しかし、マカーイやナイジェル・デ・ヨングを含め、彼らがマルク諸島のルーツを持っていると知り、その理由を調べると、上述のようなマルク諸島とオランダの歴史的背景を発見し、さらに驚きました。

オランダにインドネシアからの移民が多いことは以前から知っていましたが、これらの人々の背景については新たな発見でした。

マルク諸島の歴史には興味がありますので、引き続き学び、新しい発見を皆さんと共有できれば幸いです。

 

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*参考文献

南マルク共和国

・オランダにおける移民労働者等統合化政策,  https://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/133-1.pdf

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