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日・英・中・印尼語を活用し、乱世を生き抜く凡人の備忘録

私が出会ったアジアの少数民族 - 辺境訪問のすすめ

2016年3月 初めて少数民族に出会う

今回は、私のちょっと変わった旅の経験についてお話したいと思います。以前、仕事の都合で、様々な国・地域に赴いておりました。その中でも特に印象に残っているのは、都市部から離れた辺境の地に足を運んだ時のこと。テレビや本でしか知らなかった、美しい風景や、珍しい動植物、そして何よりもそこに住む少数民族の人々との出会いが本当に心に残っています。

一番の思い出は、2016年3月にボルネオ島で出会ったダヤク族。私が人生で初めて出会った少数民族が彼らでした。遭遇した際、「本当にこんな人たちが世の中にいるのか・・・」と息を呑むと同時に、外界の人にはない何か神秘的なオーラを感じて心を打たれました。この新鮮な経験がきっかけで、以後自主的にいろいろ少数民族について調べていくようになり、実際に少数民族の方と交流をすることで新たな知見を拡げていきました。

今回このブログを通じて、私が出会ったアジアの少数民族について、皆さんにも少しでも知って頂けたら嬉しいなと思っています。もちろん、私が紹介する内容はほんの一部でしかないのですが、この記事を読んで、少しでも興味を持っていただけたら嬉しい限りです。

少数民族の方々との出会いは、私にとって新しい世界の扉を開いてくれる鍵となりました。この記事が、皆さんの新しい扉を開く一助となれば幸いです。

私が出会ったアジアの少数民族 4選

1. ダヤク族(Dayak People)

私が出会った老婆は、イヤリングをしていなかった

深いジャングルに覆われたマレーシア、ボルネオ島の奥地。そこでの仕事を終えて足をのばした先で、一人の老婆とその孫と思わしき子供たちと出会った。そこで私の目を引きつけたのは、その老婆の異様に長い耳たぶだった。これまで写真でしか見たことのないその光景に、私の心は深く打たれ、同時になぜかある種の畏怖の念を感じた。当時、私と同行していたインドネシア人の同僚も"orang tradisional!(先住民だ!)"とたいそう驚いていた。

インドネシア人の同僚によると、彼らは"ダヤク"というボルネオ島(カリマンタン島)の先住民だそうだ。女性が耳たぶを長くするのは、美しさの象徴であり、小さいころから耳たぶに重いイヤリングなどをつけて伸ばしていく。しかし最近のダヤクの若い人たちは、そういった伝統を継承はしていないらしい。実際に孫と思わしき子供たちはその伝統を受け継いでいないように見えた。その老婆の耳たぶというのは時の経過とともに失われた、ダヤクの伝統的な名残なのである。

ボルネオ島(カリマンタン島)の地図。
四角い赤枠の地点で、彼らと出会った。

後に自分の興味からいろいろ調べたところ、"ダヤク"という名前はボルネオ島の中南部に位置する200以上の民族グループを指す総称であり、ある特定の民族グループを指すものではないということが分かった。マレーシアでは通常、"ダヤク"という単語は海のダヤクと呼ばれる"イバン族"と陸のダヤクと呼ばれる"ビダユ族"を指すそうだ。この"ダヤク"という単語には、それだけでは語れない多様性が内包されているのを知り勉強になった。彼ら先住民との出会いは、私にボルネオ島の"底なしの多様性"を教えてくれたように感じた。

2. イ族-彝族(Yi People)

イ族の人たち

2019年9月、四川省成都にある霊廟、武侯祠(ぶこうし)を訪れた。この有名な観光地に赴いた際、私の目を引く人々に遭遇した。ある女性たちの独特な髪型と、印象的な民族衣装に目を奪われたのだ。『彼らは一体誰なのだろう?』。私は姿形を記憶し、中国語の先生に尋ねてみると、彼らは"イ族"という、中国の少数民族の一つであることが判明した。

イ族(彝族)と呼ばれる彼らは、現在中国に約870万人暮らしている。彼らは"彝語"という独自の言語を持ち、アニミズムや仏教、道教を信仰するとのこと。四川省や雲南省を中心に、幅広い地域に住んでいるそうだ。

イ族が使う文字。彝文字

後日、私と同世代の雲南省プーアル出身の友人がイ族の人であることが判明し、いろいろ話を伺った。彼は普通話しか話さず、彝語は理解できない。しかし、彼が子供の頃には学校の行事などで彝語の歌を歌ったり伝統的な踊りをしていたという。意味は理解せずとも、その旋律や踊りには彝族の歴史が詰まっているのだろう。彼らの親世代はまだ彝語を解し、その言語を通じてコミュニケーションを取ることができるというので興味深い。

赤ピンが雲南省プーアル。ベトナム、ラオスやミャンマーにも近い

ちなみに、上述した武侯祠(ぶこうし)という場所は、三国志で有名な、諸葛亮や劉備を祀る場所として知られ、多くの観光客が訪れる。なお、私がこの場所で得た最大の発見は、"イ族"の存在だった。

3. 黒タイ族(Black Thai People)

ベトナムの国旗をもつ、黒タイ族の女性

ベトナムと中国の国境の町、ラオカイ。ここでたまたま入った中華料理屋にて黒タイ族の方と出会う。彼は店員として働いており、中国語(普通話)が話せたので、いろいろ言葉を交わすうちに彼がベトナムの主要民族であるキン族ではなく、黒タイ族であることが分かった。

黒タイ族はベトナム北部からラオス北部にかけて住む、タイ諸族の一つ。名前の由来は黒い民族衣装からきているというが、彼いわく、実は黄色や赤といった多彩な衣装も存在するとのこと。衣装には細やかな刺繍が施されている。

彼の故郷、ベトナムのライチャウ省は山岳地帯。そこでは農業や畜産が主要産業だが、家庭によっては経済的な困窮が続いているそうだ。彼自身も14歳のころに極貧から脱出するべく友人を頼って中国雲南省に渡った。過酷な環境の中で中国語を習得したそうだ。

赤い部分がライチャウ省。中国、ラオス、ミャンマーに近い

ベトナムから越境の際、もちろんパスポートは必要になるが、ブローカーに偽造してもらったと、まるで普通のことであるかのように説明してくれた。だが結局、不法滞在がバレて一時期広西省(广西)の刑務所に収監されていたそうだ。なお、その刑務所で出会ったベトナム人の中には、人身売買で無理やり中国に連れてこられた者もいたそうで、自発的に中国へ渡った彼からすると同情せざるを得なかったと言っていて、非常に生々しい話を伺った。

黒タイ族が使用する文字。黒タイ文字

全然話は変わるが、彼は中国語、ベトナム語、彼の民族の言語"黒タイ語"の他にラオ語(ラオスの言語)も少し分かるらしい。黒タイ語に若干似ている部分があるとのことだ。この他、黒タイ族以外に、白タイ族というタイ諸族の一派についても教えてくれた。この出会いを通じ、私はベトナムやラオスのより深い一面を知ることができた。

4. インドネシアのパプア人(Papua in Indonesia)

インドネシア パプア州の先住民

2019年7月、私はジャカルタからバリ島のデンパサールを乗り継ぎフローレス島に降り立った。私がフローレス島で滞在した宿泊先のウェイターがパプアの人だった。彼の風貌は、これまで私がスマトラ島やジャワ島など、インドネシアの他の島々で見てきた顔とは一線を画していた。彼はパプアニューギニアやバヌアツに生きるメラネシア人のそれと重なった。

彼の故郷はインドネシアの西パプア州で、フローレス島には出稼ぎでやってきたという。西パプア州が位置する巨大なニューギニア島は、2つの国の領土で成り立っている。東側はパプアニューギニアの領土。西側はインドネシアの領土である。

西がインドネシア領、東がパプアニューギニア領

このインドネシア領の部分は、通称"イリアンジャヤ"(IRIAN Jaya)と呼ばれている。この"IRIAN"は" Ikut Republik Indonesia Anti-Nederland"(オランダに抵抗し、インドネシアの傘下に入る)の頭文字をとった略語である。ちなみに"Jaya"は"偉大な、勝利、栄光"を表すインドネシア語だ。

このイリアンジャヤには約500万人が住んでおり、多様な民族が共存している。中には未接触部族(外界とは接触しない先住民)も存在する。インドネシアの人口の90%がイスラム教を信仰しているが、この地域の多くの人々はキリスト教を信仰しているという。

尚、イリアンジャヤは山岳パプア州とか南パプア州など5州から成り立つが、この中で中部パプア州において、分離独立を要求する武装集団の事件が散発している。外務省の安全情報を調べると、不要不急の渡航は控えるようにとの注意が依然出ていた。

インドネシアの地図。ジャカルタのあるジャワ島からバリ島、
スラウェシ島を経由し、パプアへ

私がインドネシアに駐在していた2015年~2019年当時、ジャカルタからパプア州へ行くには飛行機をバリ島のデンパサールとスラウェシ島のマカッサルで2回乗り継ぐ必要があり、同僚は2日かけてパプアに赴いていた。また行く前にマラリアの予防接種を受ける必要がある。パプア州はどうしても行きたい地域の一つであったが、私は駐在員時代にその夢を叶えることはできなかった。今後同地域に赴く機会を作って、必ず訪問を実現させる。

アジアは思った以上にカラフルだった

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。アジアの少数民族の多様性を少しでも伝えたいという気持ちから、今回こちらのブログを書きました。しかし、ブログの冒頭にも説明したように、今回紹介した内容はアジアの少数民族のほんの一部でしかないです。氷山の一角にすらならないと思っています。

例を挙げますと、中国には56の民族が存在し、ベトナムには54の民族、インドネシアには250、そしてインドには461もの民族が住んでいます。各民族がそれぞれ異なる歴史や文化、言語を持ち合わせていて、それが私たちに新しい発見や驚きをもたらしてくれます。私の場合(まだ出会った民族数は少ないですが)、実際に少数民族の人たちと接する中で、その多様性や違いがどれだけ魅力的であるかを感じることができ、違うことは良いことであり、誇らしいことであると気付くことができました。

また、少数民族の人たちと触れる中で、私がさらに深く考えるようになったのは、「国」や「国籍」、「民族」とは何かということです。今まで考えもしない、当たり前に存在する物事に対して深く考える習慣が付き、日々勉強を継続しております。

このブログを通じて、アジアの少数民族についてあまりご存じなかった方は少しでも興味が湧いたら幸いです。また、同じような体験や感じたことがある方はぜひコメントでシェア頂けたらうれしいです。